江戸時代の慣習が今も生きている!失火責任法
皆さんは失火責任法という法律をご存じでしょうか。
江戸時代に考えられた内容がもとになっている今も生きている法律です。
今回はそんな失火責任法のできた歴史についてお話していきます。
江戸時代の日本は
日本の歴史の中で江戸時代は大きな紛争がなく平和な時代だといわれています。
ですが、当時の江戸時代は参勤交代の影響もあり、狭い都市の中に多くの人が密集して住んでいる世界有数の年でした。
1609年には15万人だった人口が1720年ごろには100万人を超えたといわれています。
高層ビルのような建物がない状況でこれだけ多くの人が密集した地に住んでいるということはかなりごみごみした街だったことは容易に想像できます。
江戸での火災
非常に混雑していた江戸では火災が頻発していました。
267年間の江戸時代の期間だけで49回もの大火事があり、「火事と喧嘩は江戸の華」とまで呼ばれるようになっていました。
これほど何度も大火事か発生した年はなく、世界でも例がないといわれています。
火事の原因は多数で調理中の失火、放火、寝煙草等であったようで、住民の中には類焼は仕方なく、自分の家からの日でなくてよかったと考える者もいたようです。
江戸での火災対策
江戸でも火災対策には注力しており、大名屋敷や寺社を移転することによって日よけ地を作ったり、人返しの法という法律を作ったりするなどして、地方に人口を分散させるように取り組んでいました。
街中には消防組織として火消しの制度化や放火犯を厳しく罰する等の法整備も行われました。
失火責任法の成り立ち
当時の江戸では火事は仕方ない状況ですし、物件は木造なので、一度も得ると消し止めることは困難でした。
火災のたびに物価の急上昇や、食糧不足になることもあり、当然火元の住人から賠償を受けることは現実的ではありません。
そういった事情もあり失火に関しては火元の人間に重い罰則は与えない内容となっていました。
その後明治時代に入って法律が整備される中、この慣習を生かし、失火責任法が作られたのです。
失火に関しては火元が特に重過失がない場合に賠償を免除するという失火責任法の内容は火災保険を使って自身の家のお金周りについて対策をするよう暗に示しているといえるかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は江戸時代の歴史から失火責任法についてご紹介していきました。
近年災害が多発していることもありますので、これを機に火災保険を確認してみてはいかがでしょうか。
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